11月の日記

「我が子をよその子と比較して悲しくなった時の対処法」 11月12日(木)

答えはその気持ちを「ググる」です。
インターネットがあって、本当に素晴らしい時代になったなあと思います。
何かと運動も勉強もできなくて心も幼いと感じる娘です。
生まれた3ヶ月後あたりからずっと、身長・体重・発達の遅れに悩まされ、自分の心を強くしなくてはと勉強してきたつもりです。

しかし、娘を暖かく見守りたいと思いながらも、
●レゴ教室で我が娘は説明書を見て組み立てる事ができないとか、
●秋の運動発表会ではお決まりのビリ(遅い子同しの中でもビリ…これはもうなんとも思いませんけどね)とか、
●勉強だけはとさせていたのも、春ごろ娘の反発が強くなり、勉強も宿題も手放して、本人に任せていたら、先日、めずらしく宿題を私と一緒にやって、(これは喜ばしい局面です)漢字がかけない、簡単な形の書き順も覚えていない、計算もできない… という現状がわかりました。
そして今朝、
近々予定のある学習発表会で、娘がやりたそうにしていた、ピアノの伴奏者にお友達が選ばれた事を聞いて、
また心が揺らいでしまいました。

ただ、悲しくて涙がでます。
モンテの本を読むと0才時の扱いが重要だと書いてありますが、(その当時は知りませんでした)幼児期のつまづきはずっと取り返せないのだなあとつくづく、思います。

あまりにも悲しかったので、同じ気持ちの人を探そうと思い、

「子供を比較して悲しくなります」とググってみました。

そしたら、トップにYahoo知恵袋の投稿が出てきて、その投稿に対して、
上から目線の人、ただ批判的で攻撃的な人、そんな親に育てられたという人、、いろんな意見や解釈があって、

読んでいるうちに、
「やっぱり、比較は無意味だよね。」
「妬み・嫉妬・イライラ・徒労感…エネルギーの無駄遣いだよね。」
「できない子だからこそ、親の精神力が試されるよね。」
「『できない子を暖かく見守った結果、こうなりました!』っていう素敵な将来を目標にしよう!」

という気持ちが湧いてきました。

最近、私はコーチングに興味があります。
以前にグループコーチングに参加した事がありますが、
Yahoo知恵袋などで「同じ悩みを持つ他人の投稿を見ること」は、グループコーチングやグループカウンセリングと同じ役割を果たしてくれると思います。

グループコーチングの良いところは、

「他人ごととしてなら客観的に話を聞き、理解する事ができる」

というところにあります。

自分に向けられた意見だと、たとえ正論であっても、感情面の反発があって受け入れられないような言葉も、
他人の悩みを聞き、その解決への回答を聞いたり、プロセスをたどる事で
スッと、素直に自分の中に落とし込むことができるのです。

追記
夜中に目が覚めて、
「私の心の中はどうあれ娘には『あなたは素晴らしい。』と言い続けなさい」
という考えが浮かびました。
自分にした質問に対しての答えとして浮かんでくる、こういう声や考えのことを「ハイヤーセルフ」って言うらしいです。

思えば、モビール作りを始めたきっかけは、
「自分を活かす方法は?」
っていう問いかけを自分にした時に思いついたのでした。
もう8年も続いていて、買ってくれる人がいて、私を勇気付けてくれます。
直感やハイヤーセルフの声は、まず正しいのだそうです。


ちなみにこの考えにはベースがあって、
少し前に家事に嫌気がさして「なんで私だけ!」と悪態をつきたくなった時、心の中はそう思っても、口では「誰も悪くない!みんな頑張っている!」って叫ぼうと決めたのですが、こう決めてから、今の所、パートナーシップ良好、家庭内が平和です。
今回のはその娘バージョンになりますね。

娘に対して、「なんでこんなに何にもできないの!?」と責めたくなった時、その心はそのまま置いといて、
「あなたは素晴らしい!」「この子は素晴らしい子だ。」と、きっぱり唱える。

悪いところしか見えない時ほど、「あなたにはいいところがいっぱいある。」「この子はいいところがいっぱいある。」
と唱える。

このアファメーションが娘と私に効きますように。

「自分や他人を責める考え方の癖に気づく」11月4日(水)

久しぶりの日記です。

モンテッソーリの著書、「子供の精神」を読んでます。
モンテッソーリは「エネルギー」という言葉をよく使っています。
つまりは「生きる力」です。
まず最初に精神エネルギーがあって、このエネルギーが細胞分裂をさせて体を作り、環境を吸収するように行動をさせ、自立に向かわせるエネルギーなのだそうです。

「やる気」は精神エネルギーそのものです。

例えば、パートナーとケンカをして、精神的に傷ついたり(ハートブレイク)、怒ったりすると、もうその日は、丸1日、何もやる気が起こらない、っていう経験はありませんか?
下手したらそれの繰り返しで、腹が立って仕事に手がつかない日が何日もあったりしませんか?
これって、ものすごいエネルギーの浪費です。
しかも、
たとえ私が本当に傷ついて、腹を立て、悲しんで、ベッドから起き上がれなくても、世の中は何も変わらないんです。
全くもって、エネルギーの浪費以外の何者でもありません。

このことを理解して、怒ったりイライラしたりするのをやめようと思っても、なかなか難しいものです。

ですが、最近コーチングの本を読んだり、自分の観念に意識を向けるようになったせいか、昨日は、この気持ちがすっと消えてなくなる体験をしました。

祝日でお休みだった日の夜。夫が久しぶりに、「グラタンを作る」といって、料理をしてくれました。

食卓で料理を前にした夫が、
「いつも適当なご飯だから、たまには見栄えのいいものを作ろうと思って。」
と言いました。

私は瞬間的に
「失礼な!💢」
「毎日17:00になったら、やりたくない気持ちと葛藤して、野菜多めの料理を心がけて作ってるのに、『適当?』『見栄え悪い?』そんな風に思ってるんだ!💢」
と思いました。

その場では何も言わずに「ありがとう!」「美味しい!」と言って食べましたが、モヤモヤは消えず、夜中に目が覚めて、

「いつも感謝が足りないと思ってたけど、本当にひどい。明日の朝、子供が学校にいったあと、物申してやる!」
と憤って、また少し眠り、ふと目が覚めた時、

「あれは、私の料理に対してじゃなくて、自分の料理に対する言葉だったのではないか?」
という考えが浮かびました。

正確に言うと、この考えが頭の中に浮かんで、目が覚めた、という感じです。
そう考えたら、夫は、
●私が料理をあまり好きじゃないのを知っているし、
●夕食の準備を始める夕方5時を過ぎると面倒くさそうに腰を上げるのを知っているはずだし、
●その私が作った料理に対して、『いつも適当な料理』とかいう人ではない。
●”いつも” は、”いつも”料理しているのは私だけれど、彼も”いつも”料理している気でいるのかもしれない。

そう思ったら、突然、怒りが消えて、心がスッと軽くなりました。
もう一度思い返しても、怒りがまったく出てきません。

もちろん、夫の言葉の本心はわかりません。

でも、彼が放った「適当な料理」という言葉を、私が自分を責めなければ、それは私に向けられたものではないと捉える事ができて、怒りは消えるんだ、と。

つまり、私が自分や夫を心のどこかで責めていたから、その言葉は苦痛な責め句に感じたんだとわかりました。

今まで、特に若い頃、私はこんな風な「自分や他人を責める考え方の癖」を強く持っていて、精神エネルギーを浪費していたんだなあと、実感しました。

追記

「適当な料理」と言われて怒り出す…

これは、私の母の「嫌味と捉える思考パターン」です。
私の母は嫌味と不平不満をよく口にする人です。
私はその環境を吸収していたんだと今は理解する事ができます。
40代後半に入り、ようやく、この呪縛から解かれようとしているのを感じます。

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