レッジョ・エミリア教育

徹底した観察から独創的な教育が生まれる

レッジョ・エミリア・アプローチとも言われます。
読んでいると、本当に、親としての反省点がたくさん出てきます(冷汗)
私の心の呟き(←ひとりごと)が止まりません^^;

レジスタンスの街で生まれた教育

戦後、壊滅状態にあった瓦礫の街で、レッジョ・エミリア教育は声をあげました。
人々はナチスが残していった戦車やトラックをスクラップにして現金化し、それを元手に、自分たちの幼児学校を作ることにしました。
大戦中にファシズムに屈したローマカトリック系の幼稚園に、自分の子供たちを預けたくなかったからです。

自分たちの力だけで幼児学校を作ろうとしている人たちがいると言う噂を聞きつけて、現場に向かったのがイタリア共産党員であり小学校教師のローリス・マラグッツィでした。

こうして作られたのが、自主管理の幼児教育学校「アジーロ・デル・ポポロ」です。

ファシズムや軍国主義に対してなすすべがなかった戦前の教育に対するアンチテーゼ的性格が強かったに違いありません。
そこに理論と実践を与えたのがマラグッツィでした。

芸術による英才教育という誤解

マラグッツィは様々な理論や思想を自らの教育実践に取り込みました。
ジャン・ピアジェ、レフ・ヴィゴツキー、マリア・モンテッソーリ、ジョン・デューイ、セレスタン・フレネ、ブルーノ・チアーリ、ジャンニ・ロダーニ、パウロ・フレイレ、ジェローム・ブルーナーなど。
いわば、教育新潮流の「おいしいとこ取り」をやってのけたのです。

1960年代になってレッジョ・エミリア市はマラグッツィの協力のもと、市として3〜6歳を対象にした「幼児学校」の運営を開始しました。
いわゆる公立幼稚園です。
アジーロ・デル・ポポロもそのシステムの1部に組み込まれました。1971年には0〜3歳を対象にした公立の「乳児保育所」が始まりました。

レッジョ・エミリアの名を世界に知らしめるきっかけになったのが、1988年から世界各地で催された「子供たちの100の言葉」展だと言っていいでしょう。
1991年には「ニューズウィーク」誌で、世界の最も先進的な幼児学校の1つとしてレッジョ・エミリアにある幼児学校が紹介されました。
世界的な注目の受け皿として、また「すべての子どもの権利と可能性を守り育成する」ことを目的として、1994年には半官半民の「レッジョ・チルドレン」が組織されました。

おそらく展覧会で披露された、自由奔放な子供たちの作品のインパクトが大きかったのでしょう。「レッジョ・エミリア = 芸術による英才教育」と思われ、そのイメージが世界にも流付していますが、その解釈は一面的にすぎます。

「ドキュメンテーション」と「プロジェッタツィオーネ」

マラグッツィが独自の幼児教育学校を発展させた手法として忘れてはならないのが「ドキュメンテーション」です。ごく簡単に言うと、教育の日常における様々なことを文字や写真や映像で記録していくことです。

前提として、レッジョ・エミリア教育には規定のカリキュラムがありません。
時間割もありません。その代わりにあるのが「プロジェッタツィオーネ」と言う概念です。私たちになじみのある言葉で言えば「プロジェクト」ですが、ちょっとニュアンスが違います。全体が計画されたものではなく、「子供の興味・関心から始まる探究活動」と言うような意味合いです。
「プロジェッタツィオーネ」を実践するためには子供たちが時折見せる興味・関心の萌芽(ほうが)を見逃してはいけません。普通だったら瞬間的な輝きとして通り過ぎてしまうような気づきや感動を、教師がしっかりとキャッチして、さらに引き出してあげなければいけません。

その機会に気づき、教師同士や保護者とのあいだで共有し、それを最大限に活用するための仮説(試み)をみんなで立て実行し、仮説が正しかったかをみんなで検証し調整する。そのために「ドキュメンテーション」が必要なのです。

実際、レッジョ・エミリアの幼児学校では、「ドキュメンテーション」を下にした「報告会議」が頻繁に実施されます。いわば徹底した「現場主義」です。

レッジョ・エミリア教育と言うと芸術教育のように思われがちですし、実際、マラグッツィは教育と芸術を結びつける意識を持っていたことは間違いありませんが、レッジョ・エミリア教育の本質は、むしろ「プロジェッタツィオーネ」と「ドキュメンテーション」にあるといえます。

要するに決められたメソッドはありません。教師たちによる鋭い洞察と情報共有による多角的な分析と、自由な発想による挑戦と調整の繰り返しの仕組みこそが、レッジョ・エミリア教育の真髄なのです。これを専門用語では「エマージェント(創発的) ・カリキュラム」と言います。

「ペタゴジスタ」と「アトリエリスタ」

教育者が、あらかじめ完成された教育法を誰かから教えてもらうスタイルでは、構造的な意味で、教育者自身が受け身の存在になってしまいます。

モンテッソーリ教育の問題点は、「提示」の仕方を教育者が完璧に覚える過程があるので、教育者によっては「提示の押し付け・教え込み」が起こりやすい事です。
子どもは「見ていてね」と言っても、先に手を出してしまうことが多いはずです。大人との関係次第では、全く見たがらない場合も出てきます。

しかし、レッジョ・エミリア教育においては大きなポリシーのみが示されているだけで、教育実践の細かな方法については教師自身がそれぞれの現場で生み出していかなければなりません。

その姿勢こそが正解のない世の中で、自発的に課題を発見し改善・解決して行くロールモデルになります。
幼児が、意味はわからないにしても、物心ついた時からそのような大人の姿を当たり前のこととして目の当たりにする教育効果は計り知れないと私は思います。

逆にいえば、教師の力量によるところがものすごく大きい。毎日の観察の中から、明日の教育を発想しなければいけないのですから、ルーティンワークはありえません。

そんな教師達をサポートするのが「ペタゴジスタ」と「アトリエリスタ」という存在です。

「ペタゴジスタ」とは大学で教育学を専攻した教育の専門家のこと。
「アトリエリスタ」とは大学で芸術学部を卒業した芸術の専門家のこと。
レッジョ・エミリアの幼児学校には必ず両方がいます。

科学の専門家がいる事もあるみたいです。

彼らが「報告会議」にも参加することで、《ドキュメンテーション⇄プロジェッタツィオーネ》のサイクルに専門的な視点を取り入れるとともに、その他の教師の研鑽にもつなげるのです。

さらに保護者が教師たちを全面的にサポートします。ボランティア的に協力するだけでなく、父母会と称して頻繁に集まり、ドキュメンテーションを共有し、時に教師と対等に今後の教育について語り合います。

東京チルドレンズガーデン

参考 東京チルドレンズガーデン

ベテラン教師が集うインターナショナルスクール

東京都品川区に池田山と呼ばれる高級住宅地があります。その一角に「東京チルドレンズガーデン」はあります。2〜6歳を対象にレッジョ・エミリア教育を実践するインターナショナルスクールです。

300平米もの広さがあります。広いテラスもあります。大人は18人。子供一人当たり約17平米もの保育スペースです。しかも先生は6人体制。子供3人に対して先生1人の割合です。

現在多数の国籍の子供たちが通っています。国籍の多様性が、教育環境の豊かさにもなっています。英語でのコミュニケーションを基本としたインターナショナルスクールではありますが、日本語を母語とするにする子供に英語を強要するような事はありません。「日本語でのコミニケーションを認めた方がイングリッシュ・オンリーになってしまうよりも英語が身に付きやすい」と言うのは理事長の井原尚郎さん。

先生の多くは外国人ですが、皆日本語を理解しています。
イギリスの幼稚園勤務を経て日本の名門インターナショナルスクールで副園長をしていた先生、
在日アメリカ大使館職員用の保育園で延長をしていた先生、
発達障害を持つ子供を対象としたセラピストだった先生など、
個性的で経験豊富な先生たちが、それぞれの経験を生かしながらレッジョ・エミリア教育を実践しています。

さりげない適度な介入を積極的に行う

朝8時30分になると子供たちが保護者に連れられて登園します。
早速玄関を舞台に、子供が先生にたくさんのお話を始めます。早く靴を脱ぐように急かしたりはしません。子供のペースを尊重します。その間に別の先生が保護者と立ち話をしています。一般的な幼稚園にありがちな朝の慌ただしさがありません。

「朝の会」みたいなものはなく、子供たちは各々に「ピアッツァ(広いプレイルーム)」で遊び始めます。3歳〜6歳の子供たちが一緒に遊びます。そこで先生たちがさりげなく、子供たちが自然に3〜4人のグループで遊ぶような雰囲気を作ります。
これもレッジョ・エミリア教育の特徴です。年齢の近い少人数グループで活動させる方が、子供同士の意思疎通がしやすく、新しい挑戦や学びに結びつきやすいというのがマラグッツィの考えです。

キッチンペーパーの芯はミニカーのトンネルになります。ある先生は磁石でミニカーを動かしました。子供たちもそれを見て磁石でミニカーを動かして遊び始めます。
すると、放って置かれたトイレットペーパーの芯を使って、別の先生がラッパのような音を出します。すると子供たちもその真似をします。

先生が子供たちに「次はこれをしましょう」「あれをやりなさい」と指示することがありません。しかし、子供たちの興味・関心そして集中力を見ながらうまく刺激を与えることで、子供たちの新たな興味・関心を引き出したり、集中力を持続させたりするのです。
子供たちの自発性が活動のベースではありますが、完全に子供たちの自発性だけに任せるわけでなく、さりげない適度な介入を積極的に行うのがレッジョ・エミリア教育なのです。

そして介入のさじ加減こそがこの教育法のミソ。どこでどんな介入をすべきか、先生たちは頻繁に意見を交換して、チームとして作戦を立て、実行します。

承認、励ましをして、結果を大げさに褒めることはしない

子供たちは先生のことをファーストネームで呼びます。子供と先生が完全にフランクな関係です。先生たちは子供たちのとめどない話を一つ一つちゃんと受け止め、「面白いね」「すごい」と承認します。
一方で先生たちは子供たちを大げさに褒めたりはしません。特に「うまくできたね」と言うように結果をむやみに褒めるような事はありません。
結果を褒めると失敗を恐れるようになるマイナス面があるからです。
その代わりにプロセスやチャレンジを励まします。

子供たちが遊んでいたおもちゃをそのままにして他の遊びを始めても、いちいちお片づけはさせません。
しばらくしてまた元の遊びに戻ってくることも、子供たちにはよくあるからです。
まるで回遊魚のように、子供たちは「ピアッツァ(広場)」と呼ばれる広い部屋の中をいっぱいに使って遊んでいるのです。

先生たちは、その様子を写真にとったりメモに残したりして記録に残します。
ドキュメンテーションはレッジョ・エミリア教育に欠かせない要素です。

子供たちの発話まで事細かくドキュメンテーション

たとえばある日、男の子グループ内にいざこざがあって、数日間をかけて彼らがどのようにお互いの葛藤を乗り越えて再び仲良く遊べるようになったのかが、詳細に書きとめられていました。
誰がいつどんな発話をしたのかまで事細かに記録に書き起こし、それを見ながら、子供たちの間で何が起きているのかを分析し、仮説を立て、今後の方針を考えます。が、「仮説が間違っていることもあります」と、先生は笑います。
そんな時にはベテランの先生にも相談して新しい仮説を立てて、新たな方針を入れます。その繰り返しです。

ドキュメンテーションは、保護者との情報共有にも使います。
センシティブな問題も含みますから、メモをそのまま全て見せるわけにはいきませんが、要点をまとめて、保護者にも公表します。今回の男の子グループ内での事例は、保護者にとっても良い教材となるはずです。

トラブルが起こっても、大人がすぐに介入してしまうのではなく時間をかけて見守れば、子供達は自分たちで解決策を見出し、むしろ絆を深めることができると言うことを具体的に知ることができます。

重視するのはソーシャル・エモーション

それぞれの子供たちが自分の興味に応じて自由に振る舞うのがレッジョ・エミリア教育です。その分、お友達同士のトラブルや葛藤が生じることもある。
そこでお互いが心地よく過ごせるようにするための対人能力を、東京チルドレンズガーデンの先生たちは「ソーシャル・エモーション」と呼んでいます。
社会の一員として生きていくために必須の能力です。

また、ソーシャル・エモーションは民主主義社会の市民としての使命を果たす上でも重要です。個人が、自分の利益を追求するだけではなく、社会全体の利益を考えることができるようにならなければ、民主主義社会は成り立たないからです。

ソーシャル(社会的)・エモーション(感情) とは?…。
とりあえず、下の記事が参考になりそうなので貼っておきます。

参考 社会性と感情の学習「SEL(対人関係能力育成)」とはEducedia(エデュケディア)

6つの「C」を大切にする

  • Collaboration(協働)
  • Communication(意思疎通)
  • Contet(意味内容)
  • Critical Thinking(論理的思考)
  • Creative Innovation(創造力)
  • Confidence(自信)

参考 科学が教える、子育て成功への道amazon

滅多なことでは制止せず「見守る」

普通の幼稚園や保育園のお散歩なら、「そこが危ないから登らないで」とか「入っちゃダメ」と言われるようなところでも、東京チルドレンズガーデンの子供たちは行ってしまいます。先生たちも止めません。子供の数に対する先生の数が多いので、子供一人ひとりに目が行き届いており、いざと言うときにはすぐに手を差し伸べることができる距離にいるからです。

私もなるべく制止しないようにするけれど、母娘2人でいると、周囲の人から言われる事があるんですよね〜(><)
(同じ事をしても父娘だと言われなかったりするところがちょっと納得いきません…。)
「裸足は危ない」とか、「服が汚れる」とか…。
別に、何かを壊したり迷惑かけていなくても(注:そんな事はした事ないです)言われる事があります。
そういう人はただ日常的に「クレーマー」なんだと思います。

私も、これは言われるかもな…。と思いながら見ていたりする事もあります。(←確信犯)
そんな時、場合によっては、”信じられない親ね!”という目線を頂いてしまう事も。

「他人の迷惑にならない範囲」、「危険のない範囲」と思って見守っていても、NGラインは人それぞれなので、もしも怒ってくる人がいたら、「不快にさせてすみません」「気になったのならすみません」と大人が謝ってその場を立ち去る事にしています。

そういう時は、やっぱり緩すぎるかなあと自信が持てなくなったり、お叱りを受けたダメージをそのまま娘に当ててしまったりします。(怒られた時は、子供自信の責任!みたいな^^; いけませんね。)

(一応、何がどうダメだったのか言い聞かせたりもします。次からは、こういう時こそ「ドキュメンテーション」と「プロジェッタツィオーネ」を実践して、「ソーシャル・エモーション(この場合は道徳ですが)」を学ぶ機会にしたいと思います。)

ちょうどそんな反省をしていたら、こんな記事を見つけました。

参考 レッジョエミリア・オンライン・セミナー/島村華子先生KAZUHIKO KAWASAKI

Q&Aタイムに、日本では「周りに迷惑をかけない子」が良い子とされる集団志向が強いが、個人主義をベースとするモンテッソーリ教育、レッジョエミリア教育法は日本でも有効か、という興味深い質問がありました。

「周りに迷惑をかけない子」が良い子か、についてもこのワークショップで話題にしてみます。

レッジョエミリア・オンライン・セミナー/島村華子先生

セミナーもワークショップも終わってるけど、この部分、どんなお話だったのか、気になります。とりあえず、島村華子先生をチェックしよう。


こちらのレポートも参考になるので貼っておきます。

参考 イベントレポート:「モンテッソーリ・レッジョエミリアを知り尽くした研究者が語る “誘導しない子育て”」FUTUREEDU TOKYO

この記事の参考書籍

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